for a performer (shadow) and instruments (me)
duration about 15:00
premier 08, 2025 / Sai no Tsuno
performance by Ayako Kato


[Program note]
はじめに
「カミ ( 神 )」・「オニ ( 鬼 )」・「タマ ( 霊 )」・「モノ」 民俗学者の折口信夫は「鬼の話」の中で、この4つを日本の古代信仰の重要な概念として挙げています。面 白いことに、古代信仰における「モノ」は、この世界の物質的存在や存在者を意味せず、カミ・オニ・タマ に並び、極抽象的で姿かたちが曖昧な霊的存在であったといいます。また「モノ」は、上の3つの概念を内包しており、例えば、古くからモノとオニは古くから同義語、オニとカミの互換性についても専門家のうちに様々な解釈があり、これらは目に見えないあらゆる「ケ ( 気・怪 )」が宿ったものとして、ときに自然や疫病などの人間がコントロールできないあらゆる現象と結びつけて考えられてきました。
ここで、一度「音楽」という現象に目を向けてみると、それは目には見えない空気の粒子の振動であり、空間に依存しながらも、手にとって掴むことのできない流動的な性質をもちます。そこに、私はカミ・オニ・ タマが内包された「モノ」に宿った「ケ」=「モノノケ」との共通性を見出し、音楽が「モノ」に接続する媒体 ( メディアツール ) として、「お面」・「鏡」・「J.S.BACH の楽譜」・「石」などの道具を用いることにしました。
今、私たちが触れる情報の多くは異常なほど視覚に依存しているでしょう。さらに SNS や AI によって進化した映像や文字 ( 書き言葉 ) の情報操作によって、私たちは自分の意志に関わらず「情報」という刺激を常に受け、世界・社会情勢から日常生活にまで様々な影響が及んでいます。では、このような現実を前にして、 その刺激や速度がもたらす快感に溺れた「情報依存者」とならずに、私たちが今一度主体的に「世界と関係をもつ」には何ができるでしょうか?
それには、人間の文明が道具を生み出し壁画を描くところから始まったように、または人智を超えた力と交 流するためにうまれた仮面や芸能のように、どうしようもなさから湧き上がった「0地点から作る」ことの できる人間の創造性を、今一度信じることではないかと私は考えます。そしてそれは、今、「芸術」と呼ばれ る領域に残された唯一の役割ではないでしょうか。
そんな考えから枝葉を広げながらちょっと可笑しなユーモアある花をそえて、今日の作品「MONONOKE」が 生まれました。
誰にもとっても答えのない曖昧なモノが、強固な意味や定義づけ、あるいはデータとして記号化され選別されてしまうことなく、流れるように「ただそこにある」ことのできる小さな世界が守られることを願って。
8月7日 実家 長野にて 松本真結子


